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塩爺の讃岐遍路

塩爺の讃岐遍路譚 其の一 「どなたさんも、ご免なんしてよ」

 ようお出(イ)でましたな。ここは、四国の玄関先といわれる讃岐の国でが。

讃岐と言ゃぁ、昔からへんねし(変わり者)の生まれるので有名なとこでのう、頭はええけんど、さっぱり組織におさまらん人間が多かった。

有名なとこじゃ菊池寛や宮武外骨いうのが明治生まれにおった。菊池寛は小説たら言うもんを書いて案外まともやったが、外骨いうのはさっぱり分からん。はたち(20歳)やそこらの若い時分に東京へ出て新聞を出して、明治天皇さんをからこうたり、その後役所と喧嘩ばっかりして、ほれで何十遍も刑務所へ放り込まれては、それを記事にしてまた売る、それはそれは面白い男やった。この男のことを知りたかったら、連絡くれたらメールでちょびっと(少し)詳しに書いたもんを送ったげるでぇ。

外骨(がいこつ)言うのんは、中国の言葉で、ほんまは亀のこっちゃ。身体の外に骨(甲羅)があるけんの。これは、ほんまの話しやで。

そやそや、江戸時代にも平賀源内とゆうて、頭がええのに融通が利かんで、とうとう一生浪人で終わった男もおったな。医者で、発明家で、画家で、陶芸家で、お芝居も書いとった。何が本職か分からん。ほんまは鉱山資源の探索、昔の山師や言うひともおる。

そんでも、一番へんねしなんは、空海はんや。空海はんのことは、また別のときに詳しゅ話すけんど、頭の良さでは聖徳太子とええ勝負やな。

なんでも知っとったみたいで、呪術も出来て、マルチタレントのはしりや。中国へ行っても、書を書いたら本場の人が舌を巻いて見物に来たんやから、どないもこないも考えられんわ。

真言密教も、最後の伝道者の恵果(ケイカ)たら言う偉いお坊さんが空海はんの来るのを待っとったように迎えて、教えたらすぐ死んでしもうた。空海はんも真言密教を伝授されたら、大急ぎで荷物を取りまとめると、飛ぶようにして日本へ帰っとる。うかうかしとったら、帰れんかったかも知れんもんな。あっちゃでも有名人になりかかっとったからな。

日本へ帰った空海はんは、秘策を練ってはどんどん自分を売り込んで、とうとう(嵯峨)天皇さんの気に入られて高野山を開いた。

そいでもって、死んで86年後に弘法大師の称号をもろうた。そんな空海はんを慕うて修行の跡を訪ねる四国遍路たらゆうもんが出来とるけんど、それがいつごろから始まったんかよう分からん。

そやから、ぼちぼちに調べてみようと思う。

こんな頼りない爺でもよかったら、これからぶらぶら探索の旅に出掛けるけんど、ご一緒するでか? 同行(ドウギョウ)二人やで。

塩爺の讃岐遍路譚 其の二 「巡礼の話・熊野詣(くまのもうで)」を読む