こないだゆうた空海さんの「三教指帰」ゆうのんは、儒教、道教、仏教の考え方の比較を擬人化して、お芝居の問答にした読み物や。
儒教は亀毛(キボウ)先生、道教は虚亡隠士(キョボウインシ)、仏教は仮名乞児(カメイコツジ)として、若い空海さんは戯作を書いとる。
どの道ひとつ取ったって勉学に一生かかるもんを、二十歳そこそこの若者が手玉に取るみたいにして比較しとんやから、それこそ天才としか言えんわな。
もっとも二十歳時分に書いたんは「聾瞽指帰(ロウゴシイキ)」ゆうたんを、あんまり内容が過激なんで、唐から帰った後に「三教指帰」に書き改めたという説もある。
それにしても凄いで。
奈良時代の終わり(800年)頃に、国の学問の中心やった儒教や道教はつまらんゆうて、仏教こそがほんまに人を救う教えやと説教しとるんやから。
どないな内容か、現代訳「三教指帰」の最後の部分を、ホームページから拾うてみるで。
ホームページは、山本智教訳注 弘法大師 空海全集 第六巻となっとるけんど、分かりやすう訳してくれとりますわ。
仮名乞児「私はこれからあなた方のために仏道の大綱をのべよう。秦の始皇帝のもっていたといわれる偽りを映し出す鏡でも見るがよい。(略)ともに仏道を学ぶがよい。儒童や迦葉はみな私の友達であるが、この人たちは、私たちの師である仏陀釈尊があなた方の愚昧をあわれんで、以前に中国に遣わして孔子と老子としたのである。中国の人々の素質が劣っているので、まずかりに浅薄な二つの教え(儒教・道教)を説いたのであって、仏教の過去・現在・未来にわたる真理をまだ説いていない。」
これで優しく書き換えたゆうんやけん、若い時分の文章はもっと過激やったんやろな。
「空海の風景」で司馬遼太郎さんも書いておられるけんど、空海さんはほんまに文学者でもあったんやな。
ぜひこの「三教指帰」の現代訳は、みなさんに読んで欲しいですわ。
真魚が大学を離れた空白の7年間を知る、唯一の手掛かりがこの「三教指帰」に書かれとる。
自分の生まれた邦とか、阿刀大足(アトノオオタリ)伯父さんのことや大学を離れてからのことが書かとるで。
ついでに、これは伝説的な出来事として有名やけんど、空海さんの超人の基礎をつくる大事な体験を書いた一部分を、同じホームページから引用しときます。
「ここにひとりの修行僧がいて、私に『虚空蔵求聞持(コクゾウグモンジ)の法』を教えてくれた。この法を説いた経典によれば、『もし人が、この経典が教えるとおりに虚空蔵菩薩の真言を百万回となえたならば、ただちにすべての経典の文句を暗記し、意味内容を理解することが出来る』という。そこでこの仏の真実の言葉を信じて、たゆまない修行精進の成果を期し、阿波の国の大滝嶽(だいりゅうのたけ)によじ登り、土佐の国の室戸崎(むろとざき)で一心不乱に修行した。谷はこだまを返し (修行の結果があらわれ)、(虚空蔵菩薩の化身である)明星が姿を現わした。」
この虚空蔵求聞持(コクゾウグモンジ)の法がどんなもんか、あんまりよう判らんけんど、えらい神通力があるそうな。
空海さんの超人的な記憶力は、この呪法からきとんやろか。
ほやけんど空海さんが明星を体内に取り入れてからのことを調べとったら、まるで伝説の役行者(エンノギョウジャ)になったみたいやわな。
ここ一番ゆうときの願い事のほとんどが、叶うとるで。ほんま、誰も彼もが催眠術にかけられたみたいに、しまいには天の神さんまで空海さんの言いなりになっとるみたいやわな。
ほしたらどなんげな不思議が起こったんか、司馬遼太郎さんの「空海の風景」から調べてみるで。
今日はもう時間やけん、それはこんど逢うたときにするわな。
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