塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の十五 「空海さんの話(奇跡のような不思議の連続A)」

空海さんの不思議を見とるけんど、不思議だらけや。

前回は嵐に逢うて福建省まで流されたゆうたな。

それはビン人の町や。

ビンとは門のなかに虫と書く字やけんど、パソコンにも無い字や。

この虫はヘビを意味しとるらしいで。それでビン人は、昔からヘビを尊敬しとるんや。

いまでもスネークヘッドたらゆう集団が悪いことしとるけんど、ここの福建が拠点や。

だいぶ前にテレビで、ここの町を写しとったけんど、いまでも土地の人は空海さんを尊敬して、お堂まで造っとったで。

あれには感心させられたな。

また話がそれた。

元に戻るで。

中国は唐の都、長安に着いてからの空海さんはこれまた大変やった。

書の本場中国で名筆と称えられるわ、書く詩文は名文やゆうてもてはやされるわ、完全にスターや。

そやけんど、役目の終わった遣唐大使らが帰った後、ほんまに空海さんはえらい勉強をしたらしいで。

空海さんが習うたんは、サンスクリット語や。

これは超人的な出来事やと、司馬遼太郎さんは「空海の風景」に書いとられる。ちょびっと覗いてみるな。

「長安に入って恵果(エカ)に会うまでの五ヶ月、この都市の殷賑(インシン)の中を浮かれ歩いていたのみではなかった」「たとえば筆の店の軒下に立てば、良筆の見わけ方から筆の作りかた、ついにはその技術のこつのようなものまで学びとってしまう」「その関心と吸収力の対象は、堰堤(エンテイ)や橋梁から建築にいたるまでにおよんだ。」

そんな空海さんは、インド人の般若三蔵という僧から、本場のサンスクリット語を教わったんや。

「サンスクリット語世界は、当時の貧困な日本語世界からは想像もできないほどに、言語そのものが大きな文明を為して」いるらしい。「それを、空海が長安に入ってわずか五ヶ月で習得したというのは、うごかしがたい事実であるように思われるが、しかしそれほどの頭脳が、この世に存在するのだろうか。」司馬さんをして、こう言わしめとんや。

この後、やっと恵果和尚に逢うとるけんど、和尚は待ちかねたみたいに「われ、先より汝の来るを待つや久し」ゆうて、すぐ真言密教の全部を伝授しとる。千人を超える中国人の弟子が居ったけんど、それを飛び越してしもうた。

恵果和尚は伝法の終わりに、「遍照金剛」の号を空海さんに与えた。これは大日如来の密号らしいで。

遍照はまわりを照らすことで、金剛は永遠不滅のものとゆう意味やそうな。

ほんだけんやな、遍路に参るとき、みんな南無大師遍照金剛って唱えるんわ。

南無は仏さんの尊称やから、「大師は大日如来様」みたいな意味になるな。

ほして、教えたらすぐ恵果和尚は、抜け殻みたいになって死んでしもた。

真言密教は金剛界と胎蔵界の両部で成り立つけんど、もうインドでも絶えて、中国で不空、恵果しか伝えるもんがおらなんだらしい。

その中国でも継承者が無うなって、空海さんに伝わって、日本だけに残ったげな。

これがなかったら、真言密教はこの世から消えとったかもしれんと司馬さんは言うとる。

さて、これからが問題や。

普通、留学僧なら20年滞在するのが国の命令や。最澄や遣唐使一行は、早うに日本へいんどる(帰っとる)。

空海さんは信じられん早さで、目的の密教の全部を相承してしもた。

ほしたら早よう日本にいなないかんと、焦ったと思うで。そんでも帰る船便がない。

仮に私貿易船があったとしても、皇帝の許しを受けなんだら絶対勝手には帰れんのが決まりやった。

ところがどうな。またや、またや。

考えられんことが起こる。

それは中国の皇帝が立て続けに死んで、慌てた日本の朝廷が、新しい皇帝へ慶賀の使者を送ってきたんや。

この機会を逃したら、日本からの使節団は何十年先になるんか判らん。

現にこの次に来たんは、30年後やったらしい。

これから空海さんは決死の覚悟で、皇帝へ帰国の嘆願書を書いとる。

空海さんの嘆願書の威力は抜群やで。

留学生というものが2年や3年で帰国するのんがどんだけ厳しい規則違反やったんか、日本へ戻ってから朝廷へ言い訳の書を書いとる内容でも分かる。

国の命令の20年を欠くことから「欠期ノ罪、死シテ余リアリト雖(イエド)モ」や。

ほしてこの時の使者、高階真人遠成(タカシナマヒトトオナリ)に助言してもろて、何とか日本へ帰れとる。

この日本の国使の助言をもらえたんも、まんで奇跡みたいなもんや。

もしこの助言が無かったら、この時の皇帝が「朕は、この僧をとどめて自分の師にしょうと思っていた」とゆうたとか、本気になられたら逆らえん相手や。

長うなったな。空海さんの不思議の話しは、あと1回で終わるわな。

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