塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の二十四 「澄禅(チョウゼン)の四国辺路日記を読むC」

なんや長い付き合いになっとりますな。この爺の訳の分からんもんに、よう付きおうてくれて、ありがとで。

ほしたら、澄禅さんの旅を行くでか。

「九月九日伊予に入る。宿毛(スクモ)より寺山(三十九番延光寺)に着く。足摺より十三里である。御月山に寄ったので十六里になった。宇和島の城下の追手門の所に大師堂の辺路宿があった。ここの城主は政道正しく、新道をつくり、辺路修行者といえば、どこも宿を貸してくれる。八幡宮に詣で稲荷社に寄る。」

土佐中村、土佐清水、ほして宿毛から愛媛県へ入り、西宇和海のリアス式海岸地帯を抜けて宇和島へ着く。

この間に寺はほとんど無いな。

足摺がなかったら、旅は楽やったやろけんど、そこが辺路旅の大事なとこや。

空海さんも、人影のない荒野を求めて放浪したんやし、それを追体験するんが辺路旅や。

我慢せないかんわな。

「九月十六日、卯ノ町に着いて庄屋清右衛門宅に一泊する。この主は高野山小田原湯谷の証井院の旦那であった。辺路も数回したという信心深い人で、ていねいにもてなしてくれた。伊予内ノ子町より坂を越え川を渡り、東北への道は辺路用の道があった。民家の宿もある。坂を上り峠を下ると久間(久万)の菅生山(四十四番大宝寺)に着く。赤石寺より二十一里であった。大宝寺は禁裏に聞こえて勅願寺となった立派な寺である。住職は天台宗であった。つぎの岩屋寺(四十五番)は真言宗であるが、六十六部回国の経奉納所でもある。当山本坊に泊まる。岩屋寺から北方、松山城下へ向かって遍路みちを行く。」

宇和島から卯之町、野村、大洲、内子、ほして久万町へ抜けとるらしいけんど、これももの凄い深山やで。

久万は四国のチベットと呼ばれとる。

山の尾根が重なって曲がって見える。

この曲がるのをクマと呼ぶ、とゆうんは柳田国男先生の説や。

千曲川がええ例や、と。これから道後温泉のある松山や。

ここで六十六部たらゆうんが出てきたけんど、この六十六部(ロクジュウロクブ)は聖の一種らしいな。

鎌倉時代に始まったらしいで。

法華経を全国66箇国の霊所へ奉納して歩いたらしいけんど、場所に決まりはないし、訳がよう判らんらしい。

仕舞には六部ゆうて、物もらいの乞食の代名詞にまでなっとる。

「八坂寺(四十七番)、西林寺(四十八番)を経て、九月二十四日夕刻、道で会った人に、ぜひともわが家へ泊まってくれといわれる。武知仁兵衛という。その人の家は百姓家であったが、奥に立派な書院があり、その奥に持仏堂があった。阿弥陀如来と大師御影と両親の位牌が安置されてある。終夜饗応、言語に尽くせないもてなしを受けた。石手寺(五十一番)の十町先に温泉(道後温泉)があった。湯壺は上中下の三つがあり、上は侍・出家が入り、中は女、下は雑人ども。自国他国から悪瘡かきの人は下に入り込む。」

ここが有名な道後温泉や。

あの聖徳太子も入ったゆわれるけん、古い温泉やな。

今でも3つの区別があって、普通は神の湯、それに女湯、霊の湯となっとる。

この文章で面白いんは、侍と出家が同等になっとることや。

坊さんも格が上がったんやな。

それと、女湯が確立されとんのも意外やな。

あの時分は混浴が普通やのにな。

「九月二十八日、円明(延命?)寺(五十四番)を打って一里先の別宮の三嶋に至る。なおこれより七里先の大三嶋という島に本宮があって、本式の辺路ならばその島へ行って納札すべきであるが、今は略してしまっている。」

大三島は大山祇(オオヤマズミ)神社のことで、この時分は神社も奉納の対象になっとったんが判るで。

この大山祇神社の宝物殿の太刀や鎧はもの凄い。

源頼朝や義経の奉納した太刀もあるそうな。

「十月三日、横峰寺(六十番)にかかる。ここは霊峰石鎚山の前神寺であり、難所である。大坂を上ると二王門があった。南西に五丁ほど上ると鳥居がある。ここで石鎚山を拝して納札、読経を念ず。山々はみな雪であった。」

石鎚山は空海さんが修行した地として有名やわな。

西日本一高い山や。

「三角寺(六十五番)は伊予第一の大坂のある難所である。三十丁の大坂を上りつめてようやく着いた。これより奥ノ院へ大坂を越えていく。近ごろ辺路修行者の中には奥ノ院を参詣する人は稀になったという。山道のところどころに草を結んで道を示している。草のつるをつかんでは、小石まじりの赤土の坂を下っていく。巌石の間は鳥も飛べまいと思える所であった。鎮守権現の祠あり、そこへ泊まる。」

なんや山岳信仰の山伏修行に似てくるで。

これで伊予の国も終わりや。

ほしたら次はようよう讃岐や。

日本一狭い国やけん、禅澄はんもすいすいと行けたんか、山本先生がはしょったんか、ごくごく簡単にしか書かれとらん。

次で澄禅さんの「四国辺路日記」は終わるで。

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