塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の三 「巡礼の話・信仰の始まり」

これはこれは、ようお出でたな。

こないだは熊野詣の話しをしたけんど、ついでや、今日はその元になる信仰のおこりについて、ちょびっと回り道になるけんど一緒に考えてみるでか?

人間の祖先がこの世に生まれて何十万年にもなるけんど、最初に死を悲しんだんは、ネアンデルタール人やと最近のテレビで言うてましたな。

洞穴の墓穴らしいとこで、人骨の周りに一杯花粉が残っとったそうな。これは花をそなえて、死んだもんを弔ったんやないか、って言うんや。そやとしたら、えらいもんやな。

話はそれるけんど、人間が酒を呑み始めた訳も、不安や恐怖や悲しみから逃げるためやった言う説がある。酒はせいぜい5千年か3千年くらい前のことや。人間は死を怖れ悲しむことから、魂の存在を想い、神さんや仏さんを信じ始めたんやろな。

それで人間が死んだら、魂が山に昇り空の方へ行く、とかいう考えが出てきよった。日本人の山岳信仰は、これからきとるらしい。道教たら言う考えも、魂は天へ昇ると言われとるな。

日本人はもともと、どこにでも神さんが居てるというアニミズムたらいう考え方を持っとったらしいが、これはアイヌの人たちと一緒や。そやから、考えられんような山奥にも、拝む場所を作っとるし、山そのものを神さんとして信仰もしとるな。

それからこれはあんまり本には書かれてない話しやけんど、日本の古代史で謎なんは、大昔から水銀や朱の原料となる辰砂(シンシャ)又は朱砂(シュサ)をみんな気違いみたいに捜しとる。

特に朱は腐敗防止用に使こたんか、単なる赤色顔料か、又は水銀に作り替えたら鉄以外のどんな金属でも溶かす力を持っとんので、それを知っとって求めたんか、これがなんでなんか、誰にもよう分からん。

とにかく丹や丹生(ニュ又はニブ)の字のつく地名はその名残らしいけんど、全国にようけあるやろ。これに鉄や銅の産地を重ねると、いっぱい古代人の足跡が見える。

とゆうことは、古い神さんがそこに居てたんやろな。

あの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)伝説で、歩いた跡を調べたお人が居るけんど、みんな鉄(砂鉄も含む)の産地やったそうな。あれは征服の旅やったんやな。これで分かるように大和朝廷がしたんは、辰砂や鉱山の徹底的なぶん取りと管理で、そこにあった古い神さん、つまり産土神(ウブスナカミ)を押さえつけて新しい神さんに置き換えたんや。そやから、どこの神社も2つ以上の名前を持っとるやろ。

さて、この後からまたまた話しがややこしなるで。渡来人の勢力は近畿一円で拡大し、大和朝廷となって固まりつつあった6世紀ころ(552年)、今度は仏教が朝鮮大陸から入ってきた。

蘇我馬子や聖徳太子みたいな偉いさんたちは今来(イマキ)の神の仏教を信仰して、やっと置き換えに成功した神さんを大事にする物部氏らと戦うた。

それで仏教派が勝ってしもた話しは、よう知っとるわな。

やがて律令制度も確立し、仏教は国家宗教として拡大して、寺院があちこちに建てられたけんど、これは貴族のための仏教でしかなかった。

ほんまのとこ、民衆の信じる神さんには、なかなか勝てなんだ。

そこで考えられた奥の手があるけんど、長ごうなるんでその話しは次にするでな。

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