済まなんだな。寄り道をしてしもてからに。ほしたら逸枝はん等との旅を続けるで。
卯之町にあるのは、四十三番札所「源光山明石寺(メイセキジ)」です。役の小角(エンノオズヌ)五代の祖寿元の開基で欽明帝の勅願時であったのを弘法大師、嵯峨帝の勅を奉じ再興をしたという寺です。
『清冽玉のような水を掬い心静かに礼拝す。終わって山門に立てば、時正に黄昏(コウコン)鳥雀の哀しむあり』
お参りの後、山を下ること数町、お泊りを、という声をみると汚い木賃宿、これでは虱に食い殺される、これなら野宿がましと歩き続ける。そして四十二番の仏木寺を目指したが、ここでまた道を間違えていることを教えられる。
流石にお爺さんが気にかかる。
『オン、アボキャ、ベイロシャノ・・・』二人は時々これを唱えて鈴をふり鉦を鳴らしたそうじゃ。ほないして山の上まで上りつめたところで一軒の小屋にたどり着いた。そこには冷たい清水が湧いとった。どちらともなく、ここに泊まろうと決めて、脚絆も解かずにそのまま出しっぱなしの置き座によこたわります。
五時過ぎ目が覚め、足が痛くて這うように泉へいき、洗面する。するとその小屋の戸が開き、お爺さんとお婆さんが不思議そうにジロジロとこちらを見ている。遍路旅のいきさつを話すと、直ぐに打ち解けて、お茶を出すやら座布団を出すやら、となります。
朝食(パンと水と食塩)を済まし、ハンカチと足袋とを洗濯し乾くのを待っていると雨が降り出した。ここから四十二番の仏木寺まで一里余の山道、痛む足を踏みしめ雨を冒して辿る。疲れ疲れて泣きたくなっていると、傍らの岸に赤い苺がありました。それを取って食べると元気がよくなったそうです。そのあと苺を探して思わず「いちごよ、いちごここに来て、照らせふみ読む我が窓を」と愉快になりながら歩みを進めました。やはり二十四歳の娘さんです。
そしてやっと宇和島の四十二番の仏木寺へ到着します。
御詠歌に「草も木も仏になれる仏木寺 なほ頼もしき鬼畜にんてん
本尊は大日如来、大師の作伝う、とあります。
暫く休んで直ぐに発足、次は四十一番の稲荷山龍光寺です。歩くこと二十六町。四一番寺をお参りの後、宇和島の港町の賑わいを見ながら進むけんど、足が痛くて歩けなくなってしもうた。そこで、宿を求めるも、お遍路さんお断りとあしらわれます。仕方なく路傍に佇んでいると、そこへ若い男の人が現れ、今夜はお宿を差し上げますと申し出て下さる。
そのお家は若いお内儀(カミ)さんとの二人暮らしで、閑静ないいお家でした。ただ、あくる日から雨続きで、二日引き止められ好意に甘え、三日目に四〇番寺へ出立します。
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