塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の二十五 「澄禅(チョウゼン)の四国辺路日記を読むD」

さぁ、四国辺路の終わりの旅や。

ほしたら山本先生の本を読むで!

「翌十月八日、おそろしき山の崖を伝わって行くが、足を踏む所がない。崖は霜でおおわれていた。

伊予より讃岐へ入る。

雲辺寺(六十六番)の坂にかかる。

この坂は三角寺の三倍ある大坂であつた。

上り上りて嶽に至れば、雲は下の方にあり、寒風がはげしく水は凍っていた。

この寺に一泊し、翌日、北の尾根先から下って行った。道らしき道はなく、草木茂って笠も荷もひき裂かれた。」

「十月二十二日、大窪寺(八十八番)に一泊して翌日、谷川を下り、山中の細道は闇夜を行くより暗かった。これより再び阿波に入り、切幡寺(十番)より黒谷寺(四番大日寺)まで5寺(九、八、七、六、五番)を打つ。どの寺も衰微して朽ちていた。金泉寺より極楽寺(三、二番)、霊仙寺(一番)と巡り納札成就する。それより鳴瀬(鳴門)へ出て船に乗り、十月二十八日和歌山に着いた。」

どうにも、讃岐の寺がまんでがん抜けとる。

原本を知らんけん、どうにもならんでが。

こらえていたよ。

「こうして澄禅の遍路の旅は、七月二十五日より十月二十六日まで九十二日間の長旅であった。何ともすさまじい辛苦の連続である。日記の最後には、『札所八十八ヶ所、道四百八十八里、河四百八十八瀬、坂四百八十八坂』と結んでいる。川も坂も四百八十八といっているが、それほど多数あったという意味であろう」

これでみても、八十八は具体的な数でないことが判るでな。

四百は四国に掛けとるような気がするけんど、これは考えすぎやろか。

「澄禅の日記は相当の量であり、各寺の由緒も歴史も実施調査も詳細をきわめて正確なものと思われる。修行も学問も積んだ人であろう。紹介した部分は、ところどころかいつまんだものであるが、巡礼修行のきびしさはそれでも十分うかがえると思う。」

これで讃岐の説明が抜けとんのが判った。

山本先生は、旅の厳しさを書きたかったんで、讃岐平野ではそれはないでな。

ほしたら最後に、山本先生の文章を要約して、この辺路日記を終わるでな。

「澄禅は修行のプロ。同業者のよしみで寺側も快く泊まらせてくれたが、一般人には寺は開放してくれない。一般の民家も澄禅のような僧なら尊敬の念から快く宿を貸してくれるが、そのような人たちは信仰心が厚い人で、もてなしながら澄禅の法話を熱心に聞き入ったことであろう。かっての聖と信者の関係のように。一般の遍路の場合はこうはいくまい。寺にも民家にも泊まれなければ、野宿するしかないのである。」

澄禅はプロとして健脚やった。

ほんでも山坂と川の多さに泣いたげな。

「灼けるような暑さと、ちぎれるような寒風、行乞であるから食もままならず、空腹の日もさぞ多かったであろう。長い行程の土佐には米の一粒もむない土地もあった。疲労のための発熱、下痢、足のけがもあったであろう。このような苦難さをもっと増幅させているのは寺の多さだ。澄禅の日記の結びに『札所八十八ヶ所』と明記している。しかし澄禅は各寺の奥の院はもちろん、そのほかにも三十以上の寺も巡っている。巡拝する寺は多ければ多いほどいいのである。当時四国にどのくらい寺があったか、二千寺ほどあったかも知れない。その中から『弘法大師ゆかりの寺』というあいまいな基準で、いかなる過程を得て札所が決まったかはわからないが、ともかく数多く巡るのが遍路のあるべき姿だった。」

「このような形で巡拝したら素人なら半年以上かかり、存命であるかどうかもおぼつかない。まさに四国遍路行とは『生存の極限に身を託す旅』であったのだ。」

「澄禅の『辺路日記』は四国遍路に関心を寄せる人に写本されて読まれたようである。ここに使用した澄禅日記は、正徳四年(1714)に写本されたものを、近藤喜博氏が宮城県塩釜神社の文庫で発見したものだという。」

やれやれ、やっと江戸時代初期の遍路旅が終わったで。

これからどないしょうか、迷うとる。

ノブサさんから各札所とお大師様との関わりを書いて欲しいゆうご希望もあるけんど、正直ゆうてこれはむつかしい。

どしてかゆうたら、お大師さんのは伝説がほとんどで、それを書いたら夢を壊すことになるで。

それよか、杖を立てたら泉が湧いたとか、芋が石になったとかゆう話は、伝説としてそっとしときます。

ひつこいようやけんど、この山本先生の「四国遍路の民衆史」は奥の深いご本ですわ。

まだまだ面白いテーマがようけ残っとります。

これが絶版になっとるのがもったいないけん、もうちょびっとここに書かれとることを紹介させてもらいます。

誰かがパクリやゆうたけんど、これはほんまやけんしょうがない。

許していたな。

ほしたら、次のテーマはどれにしようか迷うとるけんど、だいたい決まっとるけん期待して待っといていたな。

塩爺の讃岐遍路譚 其の二十六 「四国霊場八十八ヶ寺を決めた真念さん」を読む