塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の五拾弐 「娘巡礼記」 遍路旅のさまざま

 恐ろしい遍路の「眼」対決を終えた逸枝はんは、その後宿で出会った遍路さんの姿を細かく描いています。大正時代の貧しい庶民の姿が、生々しく描写されとります。多少悲惨なところもありますが、我慢してお付き合いしていたな。

その前に、先日(令和5年7月)毎日新聞で読んだんやが、明治から大正にかけての遍路さんは、自分が遍路であることを隠して旅館に泊まっとたげな。そうでなかったら、泊めてもらえなんだ。外の客から苦情が出たんやな。そんだけ当時の遍路旅は惨めやったそうや。普通は食べ物は巡礼の途中の施しで手に入れて、宿では薪代を払って自炊する木賃宿泊まりやったげな。逸枝はんもその類やった。
 
 ほしたら、娘巡礼記に戻るで。
『・・・遍路仲間では、土佐の同行(どうぎょう)さんだの阿波の同行さんだの紀州の同行さんだの言い合っている。してみると私は肥後の同行さんである。
 それに若い者はほとんど見かけない。先ず四十から上の年配の人たちだ。否全然見かけない事もないが、そのいずれもが若いやら老人やら分からない種類の者で、みずみずしい少女だのは見ようたっても見られない。色々様々な遍路――その中の三、四人の見たままを書いてみよう。
 
雨の降る朝五十年輩の、髭の汚い男が、尼さんを連れてやって来た。眼玉が三角形に飛び出して物を言う度にギロリと光らせながら険しくまたたきをするのが癖である。尼さんは四十二、三で目のドンヨリした口の締まりのない、無智が顔全体に表れている小女(こおんな)だ。
尼さんは私に問いかけた。(アンタは遍路かえ)(年はいくつかえ)(不具者じゃないかえ)
これには少し驚いたが、(不具者かも知れません)と答えてみる。(そう、私も不具者で尼になったがこの人に騙されて酷い目に会っている。アンタ不具者なら決して嫁ぎなさるな)(アンタは肥えて美しい。ホンマに不具者かな)(アンタはえらい金持ちだろ。なんぼほど持っているかナ)(少し気分が悪う御座いますから失礼します)やっとそこを切り抜けて、そこを立つ。尼さんはポカンと私を見送っている。

若い女の遍路では二十四になるというのがいた。色艶もない髪の毛を櫛巻きにして目はくぼみ頬は落ち身体は痩せて歩く度に倒れそうな、傷ましい姿。
どの点を見たら若い血潮が香っているかと私は、静かに注意したが駄目であった。ただ、声だけは枯れているが幾分か若いようだ。郷里は伊予の温泉郡だそうで、十八の年から痼疾(こしつ)に取り付かれ、どんなに手を尽くしても治らないので、お大師様に御願をかけて巡拝しつつあるのだという。

 もう一人は十三の娘、汚れて真っ黒になった浴衣の上に、縄のようによれた帯を締め、髪は赤ちじれて根元には累々たる瘡(かさ)がはみ出ている。きたない指でかきむしるとその瘡ぶたが剝げて中から青赤い濁り汁がドロリと流れ出る。その臭気は実に耐えがたい。その子は生まれ国も母の顔も知らない子で父といっしょに歩いている。その後優しく話しかけても、白目でジロリと見返しながらなかなか返事をしない。優しく手を肩にかけてやっても決して動くじゃない。
(では、さようなら)その子が門を出ていく時、私はそこまで見送ってこういうとさすがに彼女もニッコリとした。まあ嬉しい。私は、しみじみなつかしく思って姿が消えてなくなるまで見送った。

 この他にもいろせな話があるけんど、もう省略するでな。
 
 『・・・七月三十一日、何から書こう、毎日毎日歩きずくめで久しく筆もとらなかった。三十九番寺山を出発してから四日目である。その間に市瀬
(市野瀬)----大岐-----足摺山------大岐-----市瀬という経路(但しその間幾多の村落がある。総里程五十町一里の十五里)を取って今市瀬の真念庵に休息しているところである。足摺山は室戸岬と共に土佐湾を抱いている嵯蛇岬(足摺岬の古称の一つ)の南端に位し、三十八番の札所として八十八ヵ所中著名なる霊所である。歌に曰く、
  ふだらくやこゝはみさきの舟の棹とるも捨つるも法のさた山

 本尊は千手観音菩薩で大師の御開基になり嵯峨天皇勅願寺と定め給える名刹である。』

 ここで普通なら途中一泊の行程を市瀬----大岐-----足摺山------大岐を強引に歩き通す。お爺さんは疲れて歩けないと言うが、では休みましょうと言うと、貴方が歩きたいと思っていなさるから歩くという。『構わない歩け!』と心が叫び、とうとうちょっとの休みなしに大岐まで帰り着く。宿の人たちが夢かと驚き、弱弱しい娘と老人が山坂越えて十一里四町を歩き通したのが不思議だと言う。そして衆議一決、観音様のお手引きだとなった。
 
 逸枝さんは、そこここで遍路の墓を見たが、そのいずれも遍路道に近く面して建てられいたそうです。
 では、次回は「遍路の墓」と書かれていますので、期待していたな!

塩爺の讃岐遍路譚 其の五十三 「娘巡礼記」遍路の墓です お楽しみに~