塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の四十四「娘巡礼記」 大分入り、そして運命の出逢い

 お待ちどうさん、ほな今日も元気出して行くでか。
第七日目(六月十日)
娘巡礼記では、1日雨のため親切なその家で休息、十日午前九時頃見送られて出発、足いよいよ大野郡上井田村へ入る、とあります。  
ここでは行き交う子供たちから丁寧な挨拶を受けて、その礼儀の良さに感心する。そんでこんなことを書いておられるで。「吾々が理想とすべき最高人格に到達する階段としては、第一に開放せられよ、第二に愛せよ-----この二つである。前はあくどい装飾だの、汚垢だのをスッポリ脱いで、本然の生地に帰る事で、後はその上に温かい美わしい聖らかな艶を添える事、艶と言うのが悪かったなら輝きとでもいおうか」

どうな、これはなかなかのもんやで。詩人で文筆家らしい文書ですな。歩いていくと四国帰りの遍路装束の女に出会う。天草までの帰りらしい。話を聞くと、四国では宿に困ったらしい。旅費も四,五十円は要るとか。懐は残り僅かしか無い。「ままよ、別府で費い果して、無一文で四国をまわろうと」考えついたそうじゃ。ほんまにこの娘はんは、無茶苦茶な度胸やな。

こころを固めて夜になっても歩き続けとると、「お遍路さん、お休みなされ」の声がかかる、見ると七十過ぎのお爺さんや。「今夜はここで泊まってお出」
お爺さんの名は、伊藤宮次でした。これが運命の出逢いやった。このお爺さんは、「非常な信心家で見るからに慈しみ深そうだ。親切な事、親切な事、あまりに勿体ない位」だったそうな。

逸枝はんの菅笠が無地なのを知ると、近所の人を呼んで書いてもらう。湯を浴びて早くに寝についたが、ふと、「姐さん、姐さん」と呼び起こされる。ここから大事なんで、文章のまま書くで。
「お前は、観音様をお供しているのだな」という。不思議な問いに「否え」と応える。
「いや隠しても駄目だ。お前は観音様と、因縁が非常に深い。でなけりゃ今の不思議が、あるわけない。」
「今の不思議とは?」
「それはこうだ。わしが寝てから三十分ばかりしたかと思うと、まだ眠ってもいないのに上から、夢のように七つか八つの天冠を被ったお稚児と、もう一人それの姿はよく分からなかったが私の頭の上あたりに下りてきて直ぐ消えてしまったのだ。きっと観音様に違いない」という。

私と観音様-----縁は全くあるに違いない。私の兄が幾人も続いて亡くなるので、清水さまに願をかけて生んだのが私だ。
そんな事は一寸も話さなかったが、お爺さん、つくづく私を見て、お前はこう見てみるとどうも人とは違う、一たいの挙動から、あまりにも智慧が多すぎると最初から思っていた。

夜が明け、風が少し乱れているがとにかくきょうはここを立とう。そして別府へ汽車でいくのだ、旅館に泊まるのだ、汽船にのるのだ、すると全く財嚢は空に帰するのだ。いよいよ私の意志の試練が近付いてくる。

そんな決意をした翌朝も、梅雨の空は晴れてくれなんだ。
第十日目(六月十三日)
きょうも雨だった。まだ伊藤宮次さんのお家に居ます。それどころか、事態はますます進んで、ついにはお爺さんと共に遍路に行くことになった。
そのいきさつとは、前の観音様の夢の件から後、お爺さん曰く「儂はお四国巡拝中不思議なお仁(ヒト)と出会(デクワ)した。頭の禿げた浅黄の着物に縞のちょっとした物を羽織った年輩六十位の何の装束もつけてない老人で、笠とか杖とかについて細々と注意してくれたが、そのまま見えなくなった。宿でその事を人々に話すと、きっとお大師様に違いないという。で俺はどうあっても、も一度出会いたいと思っちょるのじゃ」

逸枝はんはこれを聞いてハテ変だと思ったんやと。逸枝はんも道中同じ体験をしていたそうな。そのことを話すと、「有難い、有難い。もう貴女(アナタ)はただならぬ人と極(キ)まった。勿体ないがこの爺が、御守護申して巡拝せねば仏にすまぬ。ここ十日余り滞在してください、きっとお供します」   

なんとも奇妙な展開で、逸枝はんは「吃驚して、呆然と座っているより外仕方なかった」そうや。そんで、「これで私の一人で踏破する企ても破れたらしい。」そしたらお爺さん曰く「俺は金は持たん、そいで修行していくのじゃ。アンタもそのつもりで辛抱なされ」
それに対して逸枝はんは「運命よ、とにかく来れ。私は心安らかにその掌中にねむって行こう。」と決意する。 

逸枝はんは、ここで歌人らしく歌を詠まれとります。そのうちのいくつかを、記します。
「おどろかじ 疑ひもせじ 世の中を さみしく独り旅ゆくわれは」
「巡礼のわれの姿のさみしさに 杖なげてたつ 阿蘇の夕山」

「旅より旅へーー私は彼(カ)のポウ(アルチュール・ランポーか?)のようだ。漂泊の旅人としてか、もしくば山寺の一尼僧としてこのはかない生涯を消費し尽すべき運命の子であるらしい。」乙女の巡礼さんは、フランスの若き詩人に己を重ね、先に待ち受ける波乱万丈の人生を知る由もなく、心境を書き綴っておられます。

宮地翁家に滞在中に、こんなことも書かれとります。
「若い女の一人旅、それはそんなに怪しむべきものであるか。
 巡礼になるような人じゃない、と至る処でいわれて来た。何故だろう。」

こんな逸枝はんは、一夜明けるととんでもないことになるで。それは、又次にするでな。


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