塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の四十五「娘巡礼記」 有名人となる

 さあ、お待たせしましたな。ほな今日も行くでか?

 この辺りから逸枝はんの記述は、日付が曖昧になっとります。まだ逸枝はんは、宮地翁のお家に足止めを食っとります。そんなある日のことや。
「滞在幾日、私は今衆人環視の標的みたいになってしまった。すぐ前を馬車が通る。『あれだな』なんていって行く。心よ静かなれ!私は常にこう叫ぶ。でも駄目だ。」
 夕方、お爺さんがニコニコして帰ってきて曰く。
「アンタの事が新聞に載っているぜ。エライ学者娘だろテ皆の衆が話していた」
「ああそうか、では出たんだなと私はちょっと赤くなって考えた。退屈まぎれに『大分新聞』へ投書したのだ。」

 この退屈まぎれに投書とは誤魔化しで、出発前に九州日日新聞の宮崎社会部長との約束があり、巡礼の道中記なるものを発表することになっとったんや。こうなると、もうどないも逃げられんようになった。いろせ(いろん)な人が押し寄せてくる。洋行帰りというペテン師から、足腰の立たない病気の婆さんまでが来て治療に祈祷してくれとの哀願まで、止めども無うなった。

 こんな状態を娘巡礼記から写しますで。
『六月二十日 朝から大変である。 先ず、坊さんが来る。易者が来る無名氏が来る、参詣人が来る。校長先生、女先生、某自称県会議員。これじゃ実際耐まらない。』
 挙句の果てに『今日は柱に凭れていた』『今日は上り口にかけていた』『はき物は?『草履だ』
『おい、今日はニッコリしたよ』 まるで見世物みたいに思うとる騒ぎやったらしい。

 七月九日 毎日することが無うて悶えていた逸枝はんは、やっとの思いで旅立ちを迎えた。
宮地お爺さんの用事が片付いたのだ。
 『私は左の方から右の脇下へ浅みどり色の千代田袋をかけたっきりでお爺さんどういっても荷物を負わせてくれない。笠と杖とは手に持ちながら頭には紅リボンの帽子を被り足には草鞋、微笑みたのしく軽快な歩調をとる私の心は・・・でも、さすがに名残は惜しい。』

 身軽な逸枝はんは鼻歌交じりに歩き、後からお爺さんが老体に沢山な荷物を負うてついてくる。
二里ほど歩き、そこでも沢山な見送りの中、汽車に乗る。大野郡犬飼から数十分で大分駅へ着く。
駅では二つの俥が待っており、私とお爺さんの異様な人を乗せて走り出した。そして大分市のお爺さんの親類の家へ宿る。

 そこからまたしても大雨続きで足止めとなってしもた。仕方なしに市内散策に俥を使い、海岸で雨に曇った前方に国東(クニサキ)半島を眺め、今日は四国路の山々は見えないが、天気の好い日には美しく脈打って見えると聞かされる。その後巡礼記には、こう書かれています。
 『疲れて宿へ帰ると、誰かが新聞を持ってきた。『巡礼娘』なる標題がいかにも仰々しい。曰く『筆によって男を思わせた彼女は会ってみると意外優しい純女性だ…』 疑問の人だの問題の女だの私はいつのまにかそうなった事であろう。 静かに微笑め、寂しく思え、天を仰げ人生を望め。而して一切を熱愛せよ。 然り妾(ワタシ)若かし。詩わん泣かん、燃え狂わん。而して関(シズカ)に佇立せん』

七月十二日 両三日の雨で町内はほとんど浸水。世間は大水で消防士が出るわ、警官が出るわ、果てには軍人までもが繰り出すありさまや。これでは外出もならず今日もすることのうて、日記の整理をしとります。

 大野郡滞在中に来た手紙類を数えると、端書三十一枚、封書二十六通、それから面接した人々の数はよく記憶していないが七十五・六人やったそうです。どうです? この数。新聞記事で「娘巡礼記」が出ただけで、当時ではニユースに飢えておったんやなぁ、この人だかり。

 九州最後の記録が巡礼記に書かれとります。ちょっと長いけんど、中身が濃いのでそのまま引用しますで。文章は「三十二 他流試合」となっとります。
『宿のお婆さんに呼ばれて我に返る。早速下の座敷で来客者のお話を承わる』
 ここからえらい問答が始まるけんど、おもっしょい(面白い)けん、会話体に作り替えて、そのまんま巡礼記から引用しますで。これが事実やったんか、それとも逸枝はんの創作なんか、よう分らんでな。あんまし理路整然としとるんで、自分の内面を問答にしとるんやないかと思うたりします。まんで二十歳台の空海さんが「三教指帰(サンゴウシイキ)」で道教、儒教、仏教を擬人化して論争させたみたいや。

逸枝『では自己を無と見て仏さまを全能と見るのですね』
客人『いや、無と見る、見るというのがいけない。実際無である、無であるに違いない。全体思うのだの見るだのいう事は非常な間違いだ。真の信仰は決してそうした研究的な解剖的な立場によって立脚さるべきものでない。仏さまは智慧のかたまり、慈悲のかたまりである。我々の一切を誰よりかもよく理解しまた無限無辺の愛をたれさせ給うのだ。一体自己と仏とは両立すべきものじゃない。自己がエラクなったら仏様は自己の心から消え去るものだ』

逸枝『エラクなるとはどんな意味です』
客人『つまり自己が自己の力で完全な人格に到達する事が出来たと自信し得る境地だ。それら一流の人にいわせると何だ仏なんぞあるものかという事になる。そこで有難い仏様の折角の御慈悲もそんな横着な心のために受け入るる事が出来ないというのは実に気の毒なことだ。
 人間というものは、絶対に煩悩から脱する事は出来ない。貴女は自己の力で解脱しようとなさる。それは血で血を洗うと同じだ。貴女は苦しんで理想郷に到達しようとなさる。しかしそれは無理だ。なぜ何の苦もなく仏に帰依するの近道に出でないか。仏は貴女を限りなく愛していられる』

 こうした問答が続くこと三、四時間、しかし仏が愛していられる、という言葉はどうしても、ああそうかと感じる事は私に出来ない。私は、むしろそうまわりくどくいうよりかも翻然としてありのままなる自己及び一切を見よ。更に不可思議なる宇宙の霊を感得せよ。自己は宇宙に対して一部であり同時に全部たり得るものだ。一部より全部を知り全部より一部を識る事によって我々の行為なり思想なりは強められ深められる事が出来るのである。即ち小なる桎梏(シッコク)に囚われる事なく一切を豊かに愛する事が出来る。それが我々の理想郷ではあるまいか。仏もよし神もよし霊もよし宇宙もよし。(中略)単に仏様にすがれ拝めといったところでそうは出来ない。私どもの行為なり思想なりは、すべて自己に出発する。・・・

 私の言葉も暫時熱を帯びてきた。と続きますが、どうな? これが二十四やそこらの娘さんの言葉やいうから、ほんまに感心するでな。
 この晩はここで終わり。明日からは、いよいよ四国です。就寝十二時何分。明日の天気が気にかかる、と日記は終わっとります。

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