塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の四十六「娘巡礼記」 いよいよ四国上陸

さあ、待ちに待った出発やで。

で、ここでこれまでの足取りをちょびっと分かり易いように、地図から辿ってみるで。九州熊本から阿蘇の麓を巡って、東へ横一文字に歩いとります。弱冠24歳の娘さんの独り歩きや。
 先ずは熊本県菊池郡大津→立野→坂梨→大分県竹田→大野郡中井田(ここで宮地翁と遭遇)
ほしてから別府港から船に乗り換えて、四国路への船旅となります。

さぞかし胸躍る船旅の光景と思われたんやけんど、果たして船に乗ると、現実は違ごうとりました。ほしたら原文のまんまの書き出しから始めるで。時代は近畿一円が米騒動で荒れ狂う、暗い時代です。

『七月十四日午前3時抜錨(バツビョウ)、汽船宇和島丸にていよいよ伊予路に向かう。室内の陰惨さといったら実に耐まらない。扇を胸に口をゆがめて眠っている女、足を尻に、はね上げてる女、挟みつぶされそうに小さく平たくなっている小児、しかもそのいずれもが汚らしく眠りを欲張っている。私の隣には先刻から荒鬼のような男の足が伸び出して来て、いく度胆を冷やした事であろう。ここでさえこうである、いわんや三等においてをや。殆どけだものの雑居と異ならない。私は隅っこに悄然と端座して、こうして不行儀に寝ている人たちが一度に起き上がる光景を思い出して戦慄した。』

高等教育を受けた娘さんが、なんぼ勝気やゆうてもこの光景は強烈やったで。ここに加えて匂いの描写が無いのがせめてもの救いや。ほんまに堪らんでな。

船は穏やかに進行を始めます。ここの描写がこれまた美しいんで、そのまま引用します。
『夜は暗く雲は低く水は黒く風は重い。今こそ我が九州を離れるのだ。さらば熊本よ健在なれ、暫く汝と海を隔てん。強いられて苦しい眠りに就き、目を覚ますと早や佐賀関に着いて居る。黎明は輝やかに海を蘇生せしめ、鉛色の靄(モヤ)はシットリと頬をぬらす。』
ほないしてから、時間は過ぎていき、やがて四国の南予へ到着します。

『何らの美観-縹渺(ヒヨウビョウ)たる海は鉛白色から乳白色へ、銀白色――空も水も山も船も人も一切は銀の世界に溶け込んでしまっている。』
『四国来(キタ)る-四国来る-眼前に聳立(ショウリツ)するこれ四国の山にあらずや。九州か四国か四国か九州か、故郷か旅か旅か故郷か。胸轟かすひまもなく佐田岬から八幡浜へ、上陸は午前十一時頃であっただろうか』

 こなんして、四国の南西部、南予の八幡浜へ到着しました。昔は九州から四国へ行くには、鉄道以外は、この別府から八幡浜の航路が普通でした。この八幡浜から北へ向こうたら松山へ、南へ進んだら宇和島、高知になります。逸枝はん等は、早速この地の大黒山吉蔵寺を訪ねます。

 寺で名刺を出すと、痛みいるほどのもてなしを受ける。この吉蔵寺が不思議なことに当時三十七番札所となっとりました。正式には三十七番寺は、高知県窪川です。では何故この八幡浜が三十七番寺になったのか、そのいわれはこうやったげなで。
 ほしたら、ここも複雑なんで巡礼記から写します。
『この寺は四国三十七番寺の札所である。でもこの事は世人に多く知られてない。即ち三十七番は高知県の窪川にある藤井山岩本寺・・・いかにもこれが大師の旧跡には違いない。でも古来の本尊や御納経の版は吉蔵寺に伝わっている。そこで四国には三十七番が両立している形になっているとの事、その由来についてお話を承るとこうである。』

『一体大黒山吉蔵寺という寺号は、大黒屋吉蔵という人の名から取ったもので、大黒屋といえば現にこの地での多額納税者として誰知らぬ者なき素封家であるが、今から三十幾年前この吉蔵なる人、夜臥床にありて時ならぬ鐘の音を聞き、不審とは思いしもそのままにすて置いて翌朝例の如く早く目を覚ますと、家内のものが仏間にこんなものがあったといって持って来たのを見ると八十八ヵ所の納め札で、ここにおいて、さては三十七番の札所をどうかせよとの仏の思召しかと考え先にいった岩本寺を調べてみると、見る影もなく衰微しているので三千五百円を以て本尊と納経の版とを買い取ることに相談をつけ須臾(しゅゆ)にして建立したのがこの寺である。その後裁判沙汰まで起こったけれど中止され、とにかく、札所としての権利は完全に維持しつつ今日に及んだ次第である。』

 これが四国上陸1日目の宿でした。ちなみに現在の吉蔵寺をネットで調べてみると、ありました。流石に札所は無くなっていますが、曹洞宗永平寺派で明治18年創建となっております。念のため高群逸枝さんの名前も出ていますで。暇な方は、お調べください。
 丁重なもてなしで一夜を過ごし、もう少しの逗留を勧められるが、固く辞していよいよ巡拝の旅に出発する。
『質素なる服装に一笠弧杖、背に負いたるは納経と仏像、足には草鞋、門まで送られて振り返りつつ旅路につく。今宵の宿やいずくならん』

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