塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の四十七「娘巡礼記」 月夜の野宿初体験

 無事に四国上陸し、暖かいおもてなしを受けた若い娘と七十過ぎのお爺さんの珍道中が始まりますが、早速手違いが起こります。そのいきさつとはこうです。

巡礼するのに順方向と逆方向があります。阿波の鳴門を振り出しに高知、愛媛、香川と廻るのが順打ち、その反対が逆打ちと言います。途中どこから始めても良いのが、四国遍路のお参りです。
『先ず四十三番の宇和町明石山(源光山明石((メイセキ))寺)に出なければならぬ。それだのに道を非常にとり違えてまるで反対の方へ出てしまった。仕方がないので大窪越えという難路を辿ることにする。』とまぁ、頼りない二人組です。

名にし負う急坂路、息も絶え絶えとなりながら
『意気地なくも七十三のお爺さんに助けられて道々山百合を折ってもらったりしながらやっとの事で頂に達した。此度(コンド)は下りであるから元気が、いー。』
そして見ると、行く手に冷たい真清水の泉が見えた。逸枝はんは走り寄り、その泉の水を手で掬って飲んだ。ここからの描写が美しい光景なので、原文のまま引用しますで。

『そして手に持っている百合の花をそこに浸しておいて、暫らく木陰に休んでいると、疲れが出て、名も知らぬ草の中にうとうと眠り伏してしまった。目が覚めると毛布が掛けられてある。吃驚して座り直すと西日が真正面(マトモ)に顔を照らす。横を見るとお爺さんも眠っていられる。ああ何という寂しい光景であろう。
私の毛布を、そっとお爺さんに掛けてあげて悄然とうつむく多時、烏(カラス)が頭上を飛んで行った。』

おじいさんが目覚めるのを待って、二人は固く沈黙したまま山を下った。そしてある村を通りすぎ、川を渡ってしまうと日は全く暮れきった。もう一歩も動けない。道傍の岩に腰を下ろすと、弦月(ゲンゲツ)が朧(オボロ)に全身を映し出す。ああ疲れた。

『とうとう野宿と決定。少し上の草丘に登ってすぐに横になる。昏々とした深い眠りが毒液のように――ふと物に怯えたように飛び起きる。顔から手足に色々な虫が這い上がっていて不快で堪らない。それに着物も髪も露でシトシトになっている。月が寂しく風は哀しく――ああこの身はここに座っているのか。ああこれから何百里、かよわい私で出来ることであろうか。ああ泣いて行こう。いえ、花を摘んで歌って行こう。』

これがホンマの野宿ですわ。いろせな生き物が這いずり回り、身に纏わりついてくる。これに耐えて野宿の旅は続くのである。その後夜通し眠らずに座り続けて、夜明けを迎える。
朝、洗面しようにも、水がない。するとお爺さんがどこからか鍋を探し出し、そこへ水を入れて持って来た。何と奇抜な妙案かと感心して洗顔し、あとはパンの片を少量食べて、足は痛いが立たねばならず、み仏よ助け給いてよと歩き始める。道は一すじ、大分で貰った「近角(チカスミ)文学士」の懺悔録を読みながら歩く。

 疲れは疲れを生み、目を上げるとまるで世界が黄色になってグルグル廻転しているようだ、やっとの思いで卯之町という処に着きます。八幡浜から宇和島の途中にある、小さな村落です。ただ、この町は江戸末期から、とんでもない歴史に刻まれる不思議な土地となります。
この卯之町は歴史的に面白いところで、次回はちょびっと寄り道をしますので、今日の旅はここまでとしますでな。

塩爺の讃岐遍路譚 其の四十八「(寄り道)卯之町の歴史」を御覧になる