塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の五十「娘巡礼記」 宇和島から土佐の宿毛へ

 大正時代の山道は、それこそぬかるみと砂ぼこりの地道続きや。今では考えられん悪路やで。

ほして巡礼記では、七月二十二日 細雨蕭蕭(しょうしょう)たり、と書かれとります。

 雨具をまとうて、痛みのとれない足を引きずりながら歩んだそうです。身体も魂もまるで汗と熱との狭苦しい世界を息もつまるまでに被されながら、行くようだ。雨も横さまに降りかかる。

 その時「海!」・・・逸枝さんは驚喜したそうです。右手の足元近く白銀の海が展けていたそうじゃ。

 ここからは、当時の様子をしのぶため、巡礼記をそのまま引用しますでな。

『まるで奇跡のようだ。木立深い山を潜って汗臭くなった心が、ここに来て一飛びに飛んだら飛び込めそうな海の陥とし穽を見る。驚喜は不安となり、不安は讃嘆となり、讃嘆は忘我となる。暫しは風に吹かれながら茫然として佇立。突然後ろより肩を叩く者あり曰く、[もう暫くの辛抱だっせ。]

吃驚して振り返ると軽装の一旅人、にっこりして通り過ぎる。

 雨はやや大粒となって来た。海上低く飛ぶ雲、山中深く起こる雲、み空の雲を透かして陽が少し流れると、左右前後のすべての雲が一斉に銀色となり、その銀が溶けて千筋の雨となる。その美観実に何ともいわれない。

 径は峰の中腹を這い頂きに出て、いくつかの森林を巻きいよいよ下りとなる。ここを柏坂という。急坂二十六町、風が非常に荒く吹き出した。汗も熱もすっくり吹き放されかつ笠や袂まで吹きまくられる。面白い! 風に御して坂道を飛び降りる。髪を旗のように吹きなびかせつつ、快活に飛び行く私を、お爺さんはハラハラした顔付きで見送りながら杖を力に下ってこられる。』

 こなんして麓の村へたどり着きます。そこでラムネで口をしめらして行くこと数町、柏村を過ぎて菊川村にでます。その間中お爺さんは私が何も食べていないので、頻りに心配します、と書いています。空腹ではないが、お爺さんの勧めで餅だの果物などを口にしたそうです。

 そして辿り着いたのが、四十番札所・平城山観自在寺でした。現住所は愛媛県南宇和郡愛南町御荘(ミショウ)平城です。巡礼記には『本尊は薬師如来、大師の作。当寺は大師の御開基で平城天皇の御宇行宮(ギョウアンクウ)として定められた勅願時だという。』

 平城天皇は桓武天皇の第一皇子で嵯峨天皇の兄で、平安時代の薬子の乱でも有名な天皇さんです。道理で御荘(ミショウ)とか平城とかの地名や寺名が残されておるんやな。ほれにしても、交通の
便の悪い時分、ようこんだけの寺院が建てられたもんやな。

 この寺については、特段の感想は書かれとりませんが、その夜の宿りの様子がしみじみとしとりますので、ここも巡礼記をそのまんま写します。
『日が沈むと涼しい風が吹き出した。今宵の月は十五夜か、境内の雑木を透かして明るいか弱い故郷を慕う私の泪のような光を降らして居る。お爺さんは足を洗ったり荷物を処理したりセカセカと働きなさる。私は例のように呆然と立ち悄然と空を仰ぐ。お通夜をしようーーお爺さんが仰言る。「ええ」私の答えはいつもそれだけ……。

 夜が更けるまで光明真言を唱うる。この老人と、依然として深い沈黙に堕ちている私とーーこうして次第に夜は深くなっていく。本堂の大きな古い円柱が月光の中に寂然と立っている。虫が鳴く、風が響く、世界は宇宙は、人は、私は、みんな夢だ、夢のようだ。

 七月二十三日、早朝出発、深浦と呼ぶ一小港に到着、とあります。県境の手前の漁港です。ここで土佐行きの船に乗ります。ここで娘さんならでわの忌まわしい体験をします。
『待つこと二時間余にして乗船、例によって室内のムサ苦しい事、ほとほと耐まらない。(船は小さく上下二段しかない)途方にくれていると、上の段から手を差し伸べる親切な人が居る。ところがハッと気が付くとみんなの視線が気味悪く私に注がれてある。ハッとして見上げると、みんなの視線が気味悪く私に注がれてある。』

 若い娘さんの姿に、船内全員の好奇の関心が集まるのは無理のないことやわのう。逸枝はんは屹っとなってその場を離れたげな。その後も皆の好奇の目が光る、と書いている。船はやっと土佐の片島港へ着く。
『船員に助けられて上がる時、ふと私のそばに恐ろしい眼の遍路がいるのに気がついた。遍路は忌ま忌ましそうに船員をおし退けてさっさと歩きながら時々振り返って私をジロりと見る。年は四十五、六、髪の毛は蓬(ヨモギ)のようで赤ちじれてあくまで日に焼けた顔は一杯の毛むくじゃらである。かつ何よりかも目に立つのはその眼(まなこ)だ。熱を有(も)った濁った赤目の底に、ギロリとした不気味さが光る。

 世界には何物もいないただ獣の自分ばかりだといいたげの顔である。着物といったら垢で真っ黒になり、裾はボロボロに千切れている。足は無論跣足で手には、さすがに形ばかりの金剛杖をついている。私は不思議に恐ろしいというよりかも、奇異と、興味とを感じて、彼がジッと見返ると此方(こっち)もジッと見送った。

 そのうちに彼の姿は群衆の中に紛れ込んだ。

 はて、これからしばらく当時の遍路宿の体験が続きますが、それは次にゆずります。逸枝はんの内面の凄みがよく表れて、感心させられますでな。ほしたら今日はここまで!

塩爺の讃岐遍路譚 其の五十一 恐ろしき遍路の「眼」をご覧になる