塩爺の讃岐遍路


塩爺の讃岐遍路譚 其の五拾壱「娘巡礼記」 恐ろしき遍路の「眼」

 それでは二十四歳の娘さんの非常な体験を、娘巡礼記から写しますで。この胆力の強さと表現力の巧みさは、後年学者として成功を修めた礎と見られます。ほしたら、また娘巡礼記に戻るで。

 

『・・・するうちに彼の姿は群衆の中に紛れ込んだ。私は何だか名残惜しく感じた。種々(いろいろ)の想像を沸かしながら歩いて行った。宿毛という町を通り、とある店で端書きをかいていると近所の者が可愛いいだの、奇麗だのと言っちゃ私のことをお爺さんに聞き出している。中にも滑稽なのは小さな愛らしい嬢ちゃんが、可愛いい巡礼さんと呼んだことである。どちらが可愛いいか知りもしないで。

 世の中の人間は、どれもこれも好奇の眼を光らせたがるものである。私はわけもなく不快で仕方なくなった。固い沈黙は、なお固くなっていく。前方に木陰があるのでちょっと足を止めようとして目を上げると、木立の奥に光る眼――正(まさ)しく先刻の遍路の眼だ。いよいよ赤みを帯びて熱ばんだ血眼が、何処までも追及するように私の顔にむけられている。何か起こるに違いない!私は静かにそう想って妖婦のように微笑みながら彼をみた。』

 

 どうな、この凄まじい肝っ玉、これが逸枝はんの本性やったでな。ほしたらまだまだ格闘が続くので追いかけます。

 

『・・・先方でも黙っている。此方でも黙っている。黙と黙、眼と眼との暗闘だ。お爺さんは少しも知らない。』

 

 この無言の睨み合いの後、逸枝はん一行はそのまま歩いて次の札所へ到着します。

 そこは三十九番寺山延光寺、院号寺山(てらやま)院。当時の住所は高知県幡多郡平田村大字中山ですが、現在の宿毛市平田です。これはこの巡礼記が逆打ちのため、宿毛市から中村市へ向かう中間点になる訳です。

 

「南無薬師諸病悉徐の願なればまゐる我が身を助け給へよ」

 本尊は」安産薬師如来、行基菩薩の作という。即ち行基菩薩の開基で大師の再興し給える霊場である、と巡礼記に書かれとります。

 さてこの後、巡礼記ではこないなってます。

 

『・・・暫く例の眼の事は忘れていたが、私一人で大師堂に詣でている時ふとある戦慄に似た直覚を感じて振り返ると、来ている! 来ている! しかも私の背後三間余の間近に我が敵は鋭き眼光を以て迫っている。何故だろう、私はこの眼に対して非常に平気だ。十分見返してにらみつける事が出来る。すると彼の眼は幾分かたじろぐ。しかし私の眼が外にそれると熱心に光り出す。そして慄える足がジリジリと近づいて来る。

 臭気が鼻をついて耐えがたい。でも私はジッとして杖を斜めに笠傾けて微笑んでいた。彼肉迫し来らば刃の如き微笑を与え更に静かに優しき言葉を恵み、彼をして戦闘力を消滅せしめ、しかる後清く尊く悠々としてこの場を去らんと、私はひそかに待っていた、しかしながら予期は外れた。近づくと見た彼は、何と思ったか、あわてて何処かへ行ってしまった。』

 さらば遍路よ、健在なれ! こうして無言の戦いを済ませた逸枝はんは、心静かに寺山屋という木賃宿へ向かう。その宿は、お寺の経営で食事から寝具一切番僧がしてくれる。総勢十九名が二部屋に並んで床を取る。雑談やら哄笑が飛び交う中、逸枝はんは縁側に座して辺りを見渡していると、ふと本堂の縁の下にギョロリと光る眼を見た。

『 おーまだ御身はいられたか。おお御身よ、何を思い、何を怪しんで妾を見る。[あなたはそこにお通夜をなさるんですか]思い切って丁寧に話しかけてみた。でも先方は、何やら口ごもって黙っている。しかし、烈しく見悶えている事は明らかだ。もうそれ以上ききたくない。[では、さようなら]いいすてると私は引き返した。』

 

 ほしてこの宿での雨宿り数日、巡礼記では『目の光る遍路は、この雨風をどうしているのやら、あれ以来全く姿を見せぬ』で終わっています。

 この暗黙の戦いは、若い娘さんの貫録勝ちでした。

 それでは今日ははやいけんど、これで終わります。次は、遍路宿の観察記録になります。当時の民衆の有様が、悲惨な描写で表されています。


塩爺の讃岐遍路譚 其の五十二 「娘巡礼記」遍路旅のさまざまを読む!